人付き合いでは好き嫌いの感情を無くした方が精神的に楽という話

こんにちは!Takuya.B(@TB_IQ)です。

私は周りから見ると社交的な人間らしいのですが、そこまで人と関わることが好きというわけではありませんでした。

でも、今はニュートラルに人間関係を楽しめています

人との付き合い方に関して、現状もうこれ以上考えることも無いという結論に至ったので、少しまとめます!

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人付き合いでは好き嫌いの感情を捨てる

私がニュートラルに人間関係を楽しんでいるというのは『感情をニュートラルにする』ということです。

第一印象やコミュニケーションを通して、その相手に対して『好き/嫌い』という感情を抱かないようにすることで相手とのコミュニケーションそのものに集中することができます。

そもそも論として、コミュニケーションでは感情によるバイアスが掛かります。

  • この人には気に入られたいから、真剣に返事を返そう
  • この人どうでもいいから適当に返事返しておこう
  • こいつ、嫌い。無視しとこ。

たかが挨拶ひとつにしても、挨拶を交わす相手のことをどう思っているかで対応は変わります。

でも、相手によって対応を変えるのは、『大人の対応』ではありませんよね。

Takuya.B
「自分がされて嫌なことはしない」のは当たり前だけど、一歩進んで「相手がされて嫌に思うであろうことはしない」まで考えられる人が本当の大人だと思うわけです。

好き・嫌いという感情は幻想

恋愛感情としての好き/嫌いではなく、広く一般的な人間関係としての好き/嫌いという感情は幻想だと考えています。

そもそも恋愛でも経験ありませんか?どこが好きか聞かれて困ったこと。

彼女
私のどこが好きー?

嫌いなところなら列挙できるのに、好きなところになるとなかなか言葉にできないんですよね。

ただ、嫌いなところにしろ、好きなところにしろ、そのほとんどは『その人自身に対してでは無い』といえます。性格などはその人自身に対することですけどね。

広く一般的な人間関係における好きか嫌いかという話は結局のところ、『相手が自分に対してしてくれた良い(悪い)言動・行動の積み重ね』で決定づけられるものと言えるのでは無いでしょうか?

これは相手とのコミュニケーションを積み重ねるうちに変わってゆくものです。

例えば恋愛で、最初は自分のことをよくしてくれて好きになったけど、いざ付き合ってみたら本性が出てきて嫌いになって破局って話ありがちじゃないですか?

つまり、相手に対する好き/嫌いという感情は不変ではありません。ならば、人間関係において大事にするべきことは相手のことを今どう思っているかよりも、目の前の相手とのコミュニケーションそのものを大事にするべきでは無いでしょうか。

この考えに至ってから、私の中で好き/嫌いの感情は幻想となりました。

怒るときは怒る

友人
不機嫌そうなところはよく見るけど、人にキレてるところあまり見ないよね

最近、人に対して怒ることがほとんど無くなりました。でも、やっぱりムカつくこと言われたり、煽られたりするとカチンときます。

こちらから「そういうのはさすがに……」と注意喚起しても改めない場合はブチギレます。私も人間ですからね。

でも、それでその人のことを嫌いになるってことは無いです。自分のことを積極的に不快にしてくる奴は『ヤバイ奴』認定して距離を置かせて頂くだけです。

「あの時は済まなかった」と一言謝ってくれれば、許しますし全然普通に接します。

私がキレるときは、相手の自分に対する言動・行動が原因です。

臭いものには蓋をしたいですし、ヤバイ奴とは関わりたくないですが、嫌いな人を増やしても何もメリットは生まれません。

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まとめ

「皆平等に接する」という言葉ほど胡散臭いものはありません。綺麗事なんてクソ食らえです。

でも、自分の中の好き/嫌いという感情を捨ててしまえば、皆平等に接することができます。綺麗事ではなく、事実として平等に接することができます。

私はこれからもニュートラルにコミュニケーションを楽しんでいきます。

そういえば最後になりましたが、人間関係に悩んでいるなら『嫌われる勇気』は一読しておいた方が良いと思います。

私ももう一度読み返してみようと思います!

というわけで、次回もよしなに!