人生における究極の夢は『〜になりたい』ではなく『〜でありたい』という考え方

こんにちは!Takuya.B(@TB_IQ)です。

私には大小さまざまな夢があります。それらは『人生で死ぬまでにやりたい100のリスト』に収録しています。

しかし、将来これらの夢を全て叶えたとしても、最後に残るのはおそらく“儚さ”だけでしょう。夢を叶えた瞬間は達成感や満足感があふれかえるでしょうが、ほとぼりが冷めた頃に残っているものは“儚さ”だけです。

ですから、私は『〜でありたい』という究極の夢を叶えるために日々精進しています。さて、究極の夢とは何でしょう。なぜ、究極の夢は『〜になりたい』や『〜をしたい』ではなく『〜でありたい』なのでしょうか。

詳しくお話します!

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夢は2種類に分けられる

私たちが普段口にする素晴らしい言葉“夢”。この“夢”は大きく2つに分けることができます。

  1. 結果的な夢:〜したい。〜になりたい。〜を手に入れたい。…etc
  2. 状態的な夢 :〜でありたい。

これら2つの夢には、叶えてしまったらそれで終わりか、その状態を維持し続けるかという明確な違いがあります。もちろん難易度が高いのは後者です。

『〜でありたい』の対象は何だ?

この『〜でありたい』というのは自分以外の他者、仕事、年収、環境などは関係ありません。あくまで対象は“自分自身”です。能力も性別も関係ありませんし、時間だって関係ありません。自分自身が“どう在りたいか”こそが重要です。

時間も関係無いので、私は“死ぬ当日の自分”をイメージして“どう在りたいか”を決めています。これは名著『7つの習慣』で言うところの、“終わりを思い描くことから始める”に相当します。

ちなみに私の『〜でありたい』という夢は『主体的に行動する人間でありたい』です。この夢が実際に叶うのは私が“死ぬ”瞬間です。死ぬまで“主体的に行動”し続けて初めてこの夢は叶います。

 『〜でありたい』こそが究極の夢

もしあなたの夢が『お金持ちになりたい』だったら、一文無しになった瞬間に絶望を味わうでしょう。

もしあなたの夢が『起業して社長になりたい』だったら、会社が倒産したら路頭に迷うでしょう。

もしあなたの夢が『結婚して幸せな家庭を築きたい』だったら、家庭が上手く機能しなかった場合に、「私の人生って一体…」と悲観的になるでしょう。

これらは全てお金・会社・家庭に依存した夢です。夢が自分自身にフォーカスされている『〜でありたい』という場合ではどうでしょう?

もしあなたの夢が『誠実でありたい』だったら、あなたが誠実であり続ける限り信頼されるでしょう。

もしあなたの夢が『知的でありたい』だったら、あなたが知的でありつづける限り誰かの役に立てるでしょう。

これらは自分自身が揺るがない限り、決してこの夢も揺らぐことはありません。

だからこそ『究極の夢』なのです。

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まとめ

環境や周囲によって変わりゆく『〜になりたい』などの夢よりも、私たちがまず見つけるべき夢は『〜でありたい』という究極の夢です。

そして、この究極の夢に自身が担う役割を与えてやることで『7つの習慣』で言うところのミッションステートメントが生まれます。

私の究極の夢は『主体的に行動し続ける人間でありたい』ですが、あなたの究極の夢はなんですか?今夜、寝るときに布団の中で少し自分自身と対話してみてください。

 

真面目な話で完結させるのは性に合わないので、スベりそうなネタをブッ込もうと思いましたが、話の腰を折ってしまいそうだったので、最後に一言失礼。↓

もしあなたの夢が『とうもろこし』だったら、あなたがとうもろこしであり続ける限り“芯はしっかり、実は甘い”そんな人生を歩めるでしょう。