こんにちは!Takuya.B(@TB_IQ)です。
今週はTakuya.Bの自分全面押し売りウィーク!ということで、最初に私の終わりである“死“をテーマに取り上げます。死生観と言うほど大層なものではありませんが、死に対する恐怖との向き合い方、それを踏まえた上での生き方についてお話します。
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私が死に対する恐怖を覚えた瞬間
私が中学生になってすぐ、大好きだった祖父が亡くなりました。生まれて初めて“人はいずれ死ぬ”ということを実感した瞬間でした。また、死に対する恐怖を覚えた瞬間でもありました。
何かに取り組んでいないと、何かを考えていないと、死の恐怖が私を襲うようになりました。1人でシャワーを浴びている時に発狂したのは一度だけではありません。それほど、私にとって身内の“死”とは強烈でインパクトのあることでした。
しかし、死とは避けられないもの。人はいずれ確実に死にます。悩んでも無駄だと私は考えるようになりました。
そう考え続けていると、徐々にですが、気持ちが楽になっていきました。
私の死生観
しかし、どれだけ「悩んでも無駄!」だと自分に言い聞かせても、死に対する恐怖を完全に克服したわけではありません。怖いものは怖い。そこで、真剣に死と向き合ったのは私が20歳の頃でした。
私が死の恐怖を克服する事が出来た理由。それはシンプルなことで、発想を転換しただけでした。
死にたくないといくら強く願っても、必ずいずれは死んでしまう。「それなら!HAHAHA!!最高の死を迎えようじゃないか!」と私は考えるようになりました。最高の死を迎える為には、準備が必要です。その準備とはもちろん、最高の生き方をするということです。
巷に出回っている、“死ぬ時に後悔しない為に一生懸命に生きる”というモノとは違います。これは“死=ネガティブ”という考えの場合がほとんどです。私の場合は“死=ポジティブ”という考え方です。言うなれば、楽しみにしている旅行とその事前準備という感覚に近いかもしれません。“死”というモノにワクワクして、そのために生という事前準備を丹念にしておくと言うことです。
「死にたくない…死ぬのが怖いよぉ…」とネガティブに考えながら一生懸命に生きるより、私は“生きることは死ぬための準備”とポジティブに考えることで死に対する恐怖を克服しました。今では発狂することもありません。むしろ死ぬことすら楽しみになってしまったくらいです。あと50年は生きるつもりなので、今は死にたくありませんが(汗)
死んだ後が怖い。死後の世界ってあるの?とかは宗教に任せればいいと思います。私たちが主体的に取り組むべきなのは死ぬまでです。死んだ後のことはお釈迦さんやイエス様という専門家に任せておきましょう。
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まとめ
不思議なことに、この記事を投稿した2日後の5月26日は私に初めて“死”を教えてくれた愛する祖父の命日です。
「おじいちゃん、元気ですか?あなたが亡くなって、私はひどく悲しみました。でも、あなたのおかげで死について真剣に向き合うことができました。今は最高の死を迎えるために、毎日楽しみながら生きています。本当にありがとう。」