第52話

歳をとっても人は勝手に成長しないんだよなぁ

こんにちは!Takuya.B(@TB_IQ)です。

良い人格者になる。これは私が常日頃意識していること。

今の自分はまだまだ未熟で常日頃から良い人格者へと成長するために意識をしている。

だが、私の周りには自身の主張が100%正しいと思い込み、人の話をそもそも聞こうとしない方が残念ながら存在する。その多くが私より年上で

ですが、私の周りには根拠に欠ける主張を100%正しいと思い込み、人の話をそもそも聞こうとしない方が残念ながらいらっしゃいます。

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思った以上に人って成長しないもの

これ感じてるの私だけではないと思う。本当に人って中々成長しない。

成長したいと思ってするものでもないし、成長したとしても自覚できないことがほとんど。

この1年で何をどのくらい成長したか答えられます?

特定のスキルや知識なら自分で成長を実感するかもしれないが、【人としての成長】の場合、成長度合いを自覚することは不可能で、ほとんどの場合、周りからの指摘・評価で気づくことが多いように思う。

自己啓発書やビジネス書をどれだけ読んでも、多くの経験を積んだとしても、人として成長できるのってごくわずかなのではないかと思う。

思った以上に人って成長しないんだよね。

私が思う人としての成長とは

人としての成長って何をもって成長したと言えるのかについてだけど、器がデカいとか感情的にならないとか色々あると思うんだけど、毅然としていてかつ相手を尊重することができる状態なんじゃないかと思う。

芯があって相手の話もちゃんと聞くことができる人。もっというと相手の主張を聞いて自分の主張を下げることができる人はマジで強いと思う。

でも、勘違いしてる大人多すぎ問題

でも、周りを見てみるとそんな人滅多にいない。

そもそも、様々な経験を経て歳をとったことで自分の考え方や主張が正しいと考えてる人が多い。

「ワシの若い頃は〜or今どきの若者は〜」って昔語りおじさんもその典型だと思う。

世間知らずの未熟者のの青二才は、そういった数々の死線をくぐり抜けてきた偉大なる先人の言葉を素直に聞くべきではあるのだけど、シチュエーションによっては素直になれないこともある。

伝え方がやたら上からだったり、一人を持ち上げるために周りをけなしてみたり。

そんな人のことを尊敬しろって言われても性格上無理だし、そのありがたい教えは人格がもうちょっとマシな人から学びたいものです。もちろん向こうも良かれと思って教えてくれてるわけなので表情にこそ出しませんが、今後の付き合い方を考えるのは必至。

ただ、我が身を振り返るとやってしまってるなーと思うこともあり、本当に成長って難しい。

では、どうすれば人として成長できるのだろう?

では、どうすれば人として成長してそういう人になれるのだろう。

これも答えが無い話なので、あくまで私が思う答えはこうだ。

それは自分の感情を殺すことなのだと考えている。

例えば、なにか主張を述べるとき、そこには感情が乗っているように思う。

自分の意見が正しいと思う感情だったり、相手の悩みを解決してあげたいという感情だったりという具合に。

それは自分や相手に対する思いだったりするので、それそのものが悪いというわけではないと思う。でも、それをそのまま相手にぶつけるのは違うと思う。

持論を述べるときはどっちつかずの回答ではなく、言い切るのが大事なのは分かるけども、メディアならまだしも常日頃からそんなトガった振る舞いをするのは違うように思う。少なくとも私はそこに魅力を感じない。

自分の感情を殺すことでもう一つ得られるメリットがある。それは相手を許すことができるというもの。そのロジックはこうだ。

自分の感情を殺す→持論の正当性に疑問を持つ→相手の主張にも耳を傾けられる

答えの無い話の場合、自分の主張に正当性を感じているのと同様、相手もまた相手の主張に対して相手なりの正当性を感じているものである。

持論である以上、自分の主張にある程度の正当性を感じていても良いとは思うが、その正当性は100%ではない可能性も大いにある。相手の主張も正当性が0%というわけではない。

であるならば、相手の話にも一定の正当性はあるべきで、それは当人の経験や知識がベースとなっている。それを頭ごなしに否定するというのは良くないだろう。

こういう考え方を常日頃からできている方は、器がデカかったり、達観していたりと、尊敬できるものである。

こういう人間に私もなりたい。

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あとがき

ブログのPV数を確認したところ、1日あたり10件を下回る日もでてきたので、適当に最近感じて考えたことを記事にしてみました。このブログを始めたときを思い出すね。

というわけで、次回もよしなに!