文章は『どう書くか』ではなく『何を書くか』の方が大事だと思うのです

こんにちは!Takuya.B(@TB_IQ)です。

昨日の記事でお話したように、記事の文末表現を『ですます調』から『である調』に変えた。

『である調』といえば一見すると、『ですます調』に比べて堅苦しさが増すように思う。

だが、それは本当なのだろうか。

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「どう書くか」より「何を書くか」

僕は文章術のプロではないが、『ですます調』や『である調』といった文末表現が読み手に与える影響は少ないのでは無いかと考えている。

文末表現に意識を集中させて文章を読んだことは無いし、「文末が『である調』だから、どうせ堅苦しい!読みたくない!」と判断したこともない。

そもそも、そんなことを言っていたら新聞やニュースサイトなんて読むことができない

『である調』で面白いと感じる文章もあれば、『ですます調』の文章で堅苦しさを感じることもある。

このような経験から、『どう書くか』よりも『何を書くか』という記事の内容で堅苦しさが決まるのではないかと僕は考えている。

 

『である調』と『堅苦しさ』は直接的に関係しない

ちなみに、冒頭から言っている『堅苦しさ』とは漠然としたものだ。

Takuya.B

なんか『ですます調』じゃないと堅苦しいイメージなんだよねー

『である調』の文章を読んでいると、このような漠然とした『堅苦しさ』だけでなく以下のような印象を受ける方もいるだろう。

  • なんか決めつけられているように感じる
  • 上から目線で読んでいて不快
  • 偉そう
  • 炎上しそうだなコイツ
  • うぜえ

確かに文末に『だ・である』を用いると断定的表現になってしまうので、このような印象を読者に与えても仕方がない。

こちらの書籍では次のように記されている。

「です・ます調」を採用しても、伝えるべき主張は力強く行う、「だ・である調」を採用しても、読む人に堅苦しさや偉ぶった印象を与えない――この絶妙なサジ加減が身につくと、書き手として、さらに高みへ進むことができるでしょう。

つまり、『である調』を使ったからといって、やはり必ずしも堅苦しくはならないのだ。文章術のプロが言うのだから、おそらく間違いないだろう。

いちばん怖いのは炎上すること

ブログをやっていて何が一番怖いかというと、やはり炎上だ。

しかし、ここまでお読み頂いた皆さんなら、もうおわかりだろう。

個人的には『である調』で書いている文章の方が炎上しているように感じるが、文末表現は全くもって関係ないのではないだろうか

実際、炎上した記事を読んでみると『です・ます調』で書かれていることだってある。案外、『です・ます調』で書かれている記事の方がてボーボー燃えていたりする。

結局のところ、文末表現は書き手の好みの問題であって、読者に与える印象は『何を書くか』によって左右されるというのが僕の結論だ。

Takuya.B

こうやって書いてみると、めっちゃ当たり前のことなんだけど、書き手として真剣に考え込んじゃったりするんですよね(汗)

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あとがき

僕は書きやすいという理由で『である調』を選んだ。

でも、『である調』を採用してしまったばっかりに、炎上してしまう可能性はゼロではない。

僕はこのブログが炎上するのは絶対に嫌だ。炎上商法に手を染めることも今後絶対に無い。マジで嫌だ。

でも、今回お話したように読者に堅苦しいという印象を与えかねない。だから、少しでも堅苦しさを和らげるように少し工夫を凝らすようにしている。

例えば昨日の記事では、『だ・である調』で『だ』しか使わないから『ダチョウ(だ調)』のアイキャッチ画像を使うという、くだらないギャグを挟んでみた。

というわけで、次回もよしなに!